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親に終活させたい娘の話1【エッセイ】

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福岡在住のアラサー。旦那と1歳の子どもの3人暮らし。
コールセンター勤務。
私の経験を元にブログを執筆しています。

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エッセイ
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終活という言葉が出てきてもう数十年は経ったと思う。

終活とは、簡単に言うと死ぬ準備である。

死んだ後、遺族たちに迷惑をかけないように、本人自ら色々な物を整理しておくことである。

物だけでなく、使っていない口座やクレジットカードを整理しておいたり、自分の加入している保険についてまとめておいて、家族にあらかじめ話しておくなどである。

私はまだアラサーなのでしっかりした終活というのはまだ始めないが、今の時点で、不要な口座は持たないようにしているし、保険の書類などはある程度まとめている。

問題は60代を過ぎた私の両親だ。

私が両親に終活をして欲しいと思ったきっかけとなる出来事がいくつかある。

私の実家はもともと母の実家である。

父はマスオさんとして、母の実家に同居していた為、私は子どもの時から母方の祖父と同居している。

母方の祖母は私が産まれるよりも前に亡くなっている。

同居したきっかけは、母の祖母、私からみると、曾祖母が寝たきりになった後に、亡くなった為である。

祖父1人では家事などができないため、産まれたばかりの私と私の父と母、祖父、計4人で同居することとなった。

その後、妹が増え、5人で同居となった。

サザエさんであれば、舟さんとサザエさん2人で家事をしているが、我が家で家事をするのは母だけである。

その当時は祖父もまだ働いていた。

母は、父の自営を手伝っており、しかもフルタイムで働いていた。

だからといって、父は子育てや家事を手伝ったことはほとんどなく、母と一緒に仕事から家に帰ってきても、母は夜ご飯の準備を急いでするが、父はテレビを観ながらビールを飲んでいた。

しかし、子どもの時はそれが当たり前の光景だった。

サザエさんだって、ちびまる子ちゃんだって、お父さんというものはテレビで野球観ながらビール飲んでいたもんである。

そのため、世の中の男はそんなもんだと思っていたが、成長して今、自分がその立場になると、良く、母は鬱などにならなかったなぁと感心する。

母は、主に私だが、他人に愚痴ればあとはスッキリ!のポジティブシンキングなのだ。

都合の良い脳みその持ち主だ。

彼女の爪の垢はポケモンのげんきのかけらくらいの効力はあるかもしれない。

そんな、家事も育児も手伝わないマスオさんな父と、一緒に同居していた波平祖父ももちろん家事は手伝わない。

しかし、祖父は、仕事を退職してからは、自主的に庭の草むしりや、犬の散歩、町内会のイベント参加などはしていた為、父よりかははるかにに役に立っていた。

老人会に加入していたこともあり、地域のパトロールをする青パトに乗っていたし、地区の小学校の卒業式なんかにも、老人会代表として出席し、マイクで、卒業生に「おめでとうございます」と、祝辞を述べていた。

祖父本人は、老人会のイベントも積極的に参加して、老人会の旅行の幹事として、ホテルの予約を取ったりしていた。

彼は携帯電話を持っていないため、連絡先として自宅の固定電話をホテルの人に伝えていた。

たまに、ホテルから予約確認の電話が自宅にかかってきて、「◯◯老人会様、1泊2日のカラオケ宴会コースでご予約承っておりますが間違いないですか?」と何回か電話をとったことがあるが、私がそんなもん知ってるわけがない。

老人たちは老人たちでコミュニティを築き定年後も楽しくやっているようだ。

毎朝、自宅のチャイムが鳴り、ゲートボールのお誘いに来るじいさんなんかもいた。

私から見ると、老人になってからの方が仕事より満喫している感じがあった。

しかし、今から2年ほど前に祖父は自宅の玄関の段差に躓き、大腿骨の骨を折った。

83歳を過ぎた日のことだった。

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