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親に終活させたい娘の話2【エッセイ】

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福岡在住のアラサー。旦那と1歳の子どもの3人暮らし。
コールセンター勤務。
私の経験を元にブログを執筆しています。

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エッセイ
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朝早く、玄関周りをうろちょろしていた祖父は玄関で骨折により動けなくなった。

母は、今もだが、当時2階の寝室で10時頃まで寝ている為、祖父が転んで身動き取れないのを知らず、呑気に寝ていたそうだ。

その為、祖父は近くにあった自転車の空気入れを地面に何度もガンガン叩きつけて、母をなんとか起こして、病院に連れていってもらった。

しかし、これが、約2年にも渡る半介護の始まりとなる。

頭はしっかりしているのに、ずっと布団にいるしかなくなってしまった祖父。

一日中テレビを観ていた。

最初の頃は新聞を読んだり、本を読んだりしていたものの、老眼で細かい字を読むのがしんどくなり、テレビばかり見ていた。

テレビを見るか、寝ているかになった。

しかし、今まで外に自分で出て行っていたので、暇でしょうがないようである。

病院にリハビリに行く日の他に、やれ、床屋に連れて行けだの、やれ、身体が痒いから皮膚科に連れて行けだの、やれ、歯が痛いから歯医者に連れていけだの、やれ、新しい下着が欲しいからと、何かと母に連れて行かせていた。

父の自営はうまくいかなくなっており、この介護が始まる前には母はパートに出ていた。

その後、自営は廃業し、父も働きに出ている。

その為、母は夕方から夜まではパートをしていたが、逆に言えば、午前中は祖父に時間が取れるのである。

それを、祖父も知っていた。

祖父が床屋に行きたいと言いだした時は、床屋と言っても、祖父の頭のてっぺんは禿げており、波平のような髪型だった。

祖父はいつもその髪型にするのに3000円払っていたらしく、母にもそこに連れて行けと言い出したのだ。

しかし母は、「冗談じゃないよ!あんなハゲ頭に3000円も払うなんて!」と本人には言いはしないが、私にそうこぼした母は車で行ける1000円カットに連れて行った。

それでも、本人は外に出れたので満足だったようだ。

骨折しているものの、3~4ヶ月経つと自力でなんとか動けるようになってきていた。

風呂やトイレも問題なく入れていた。

しかし、我が実家の風呂は昔ながらのタイル式で段差があり、年寄りが入るには大変だった。

そして、ある日、大腿骨の骨折が治ってきた時に、次は風呂で滑って胸を打ち、肋骨を折った。

老人は一回の転倒が命取りとは本当のことなんだ、とつくづく思った。

今まで、布団で寝ていたが、もう、立ち上がるのもしんどいと言い出し、介護ベッドをレンタルして、介護ベッドで寝起きするようになった。

ここから、母の介護も少しずつ本格的になっていく。

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