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実家の片付けが大変だった話

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福岡在住のアラサー。旦那と1歳の子どもの3人暮らし。
コールセンター勤務。
私の経験を元にブログを執筆しています。

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エッセイ
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タイトルの通りだが、実家を片付けるがとんでもなく大変だったので、その時の話を書き残しておこうと思う。

まず、始まりは、私の旦那と息子と私の母と同居する為に実家をリノベーションすることとなった。

それに当たり、リノベーションをする会社の人を呼び、とんでもなく恥ずかしい目にあった母の話を以前書いた。

詳細はこちらの記事で確認してほしい。

そもそも、私の両親は片付けが得意ではなく、掃除も滅多にしない。

私が片付けろ、使っていないのであれば捨てろ、と言うのだが、買えば高い物だからだとか、買った時高かっただの、時間がある時に選別するだの、理由を並べては片付けをしない人々だ。

だからと言って、私が勝手に片付けると、勝手に捨てるなだとか、要るものしかないなどと言う。

両親共に根が貧乏なのと、成功体験があるため全然捨てないのだ。

捨てて後悔したことがあるだとか、捨ててなくて役にたったことがあるだとか。

役に立ったことよりも、全体的に言えば、無駄に買って損したことの方が断然多いと思うが、本人たちは気づいていないのだ。

母は誰かにもらった醤油も1年ほど前に賞味期限が切れているのだが、開けてないし、醤油だから大丈夫だと言い張り、捨てない。

調味料類は腐らないし、冷凍している物や真空パックのものは永遠に腐らないと思っているのだ。

問題は、腐る腐らないだけではなく、1年以上手をつけていない食べ物を、今後食べないであろうというこちらの主張を全く聞かない。

それと同じような理屈で他の物もなかなか捨てたがらなかった。

父も時間がある時に庭に倉庫を作るのだと言って、もらってきた木の板を何枚も庭に置き、謎の鉄骨までも置いていた。

しかし、そうは言うものの何年経っても庭に倉庫なんて作る気配はない。

何十年も前の使っていないスピーカーもいるのだと言い張り、何も捨てたがらなかった。

しかし、母はリノベーションに前向きになり、第三者にとんでもない家を見せ、片付けに前向きになった。

母を取り込めば父もどうにかなるし、最悪父は無視しててもいいやと思っていた。

父は不変を好んでおり、改革しようとする私をとても嫌がっていた。

しかし、不変なものなんてなく、だんだんと皆、劣化や老化していることに彼は気づいていない。

少しずつだが、実家の片付けは前向きなものとなった。

ちなみにリノベーションする話から片付けが本格化したのは3ヶ月ほどしてからだ。

これでも30年間ほとんど片付けていなかったので大きな一歩と言える。

まず、2階の4部屋中2部屋は物置と化した部屋を片付けた。

大量の服があった。

私の妹が昔買った服で今はほとんど着ていない服や、母が祖母から買ってもらったのに一度も袖を通していない服や、私の高校の時のブラウスなどありとあらゆる服が出てきた。

そんな不要な服たちを45ℓの袋に詰めて、古着回収をしている公民館に持って行った。

すると、見事に公民館の古着回収場は我が家のゴミ袋でいっぱいになってしまった。

なんとまあ、服の袋が12袋にもなったのでそりゃいっぱいにもなる。

良くも溜め込んだものだ。

この服たちがどこかで活躍することを祈る事とする。

母は、着れなくなった服を、せっかく買ってもらったのになあと眺めていた。

しかし、着れない上にちゃんと保存もしていないのでシミまみれで着れる物ではない。反省モードに陥っている時にすかさず、

「ちゃんと整理整頓していればこんなことにならなかったのよ!」

というと、母はそうだね・・・。

と珍しく同意していた。

この調子だ。

この弱っている時に今後の、物を増やさないために言い聞かせるしかない。

それに、しっかり管理していなければ、必要な時に使えないし、管理できるのは自分のてが届く範囲なのである。

それを母には覚えて頂かなければならない。

そうしなければ、リノベーションのあと、また同じ悲劇の繰り返しになってしまう。

母は、片付けの間、反省の連続だったようだ。

服は公民館様様のおかげでどうにかなったが、問題は服が大量に入っていた、今や無用の長物であるタンスたちである。

タンスだけで5個ほどあった。

また、不要なキャビネットなど、大物家具がわんさか。

また、父がもらってきた車のシート2台、ソファーベッド、姿見、など他にも大物がたくさん。

これは我々の手にはおえないと判断し、不用品回収の2tトラックを呼んだ。

庭に不用品を運び出していたのだが、それは側から見ると、ゴミ屋敷感が半端なく、家主である母も良くもまあ、こんなに不要な物がたくさんあったなあと言っていた。

不用品回収の人びとが来るも、第一声は

これ、全部は無理です。

即答だった。

トラックを見た瞬間に我々も思ってはいた。

あ、2tトラックって小さいんだな、と。

いや、違う。

実家に不用品が多過ぎたのだ。

しょうがないので、とりあえず大きくて嵩張るものを載せれるだけ乗せてもらった。

しかし、実家の庭にはたくさんの不用品が所狭しと並んでいる。

どうしたものか・・・。

また、不用品回収を呼ぶか・・・。

しかし、今回の不用品回収だけで4万もの出費である。

再度呼ぶと4万.

合計8万円。

すると、母がやる気になったあと、片付けをすることに激怒していた父だったが、しばらくすると片付けに前向きになったようで、父の知り合いに2tトラックできてもらい、その人には金属で金目になりそうなものを持っていってもらった。

しかし、それでも積みきれず。

まだ、まだある我が実家の不用品たち。

不要な自転車が3台もあるし、棚や姿見や、木材などもたくさんある。

それに、父が貰ってきた車のシートは産業廃棄物なので、家庭ゴミとして出すことができない。

なんてモンをもらってきたんだ。と心の底から怒りが湧いてくる。

「案外2tトラックって物乗らないのね〜」と母が言った。

こんなにものを溜め込んだのは、誰でもない父と母である。

無料だからだとか安いからだとかで、買ってきたり、もらってきたものの集合体である。

後先、何も使用用途を考えなかったため、スライムがキングスライムになったかのようになっているのである。

彼らにはもっと反省してほしい。

そして、未だ、ゴミ屋敷感が抜けない実家。

しょうがないので、軽トラをレンタルしてきて、自分たちで直接クリーンエネパークへ持ち込むことになった。

私が軽トラを運転したのだが、実家で不用品を軽トラに載せ、処理場で不用品を降ろし、というのを5往復した。

5往復だ。

慣れない軽トラで。

積み下ろしして。

最初2回は旦那についてきてもらい処理場へ行った。あと3回は母についてきてもらい処理場へ行った。

母は、車の中で、全部もしかしたら使うかもしれないと思っていたけれど、ほとんど使わなかったし、いらないものだったなあ。と反省第二弾をしていた。

そのため、車の中では「安いからと、無料だからとかで買ったりもらったりは今後しないように!」と念を押した。

この日のことを忘れないようにしてほしい。

また、前回の不用品回収のトラックを呼んだのと、今回の軽トラレンタルとゴミ処理場への持ち込み処分代で合計6万かかった。

「6万よ!6万!6万あったら何ができたかちゃんと考えなさいよ!」と私は終始お説教モードだった。

なんとか、それで、実家の庭はゴミ屋敷感が抜けた。

実家の片付けをしてわかったのは、私が30代で母が60代なのだが、お互い元気じゃないとできないということだ。

手伝うこちらも不用品の持ち運びや、車への積み落とし、運転など、本当に体力がいる。

しかも、実家は2階建てなので、タンスを2階からおろしてくる作業もあった。勉強机なんかとんでもなく重かった。

これがもし、50歳と80歳だと、どちらかが何かしらの怪我をしているし、業者に頼んだら6万じゃ済まなかったと思う。

実家の片付けは本当に少しずつ、そして、1日でも早く取り掛かっていた方がいい。

最初、家の中を片付けることに両親はブチギレると思う。

しかし、彼らの為にも、自分の為にも片付けはしておいた方がいい。

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