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高校を中退したかった話【エッセイ】

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福岡在住のアラサー。旦那と1歳の子どもの3人暮らし。
コールセンター勤務。
私の経験を元にブログを執筆しています。

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エッセイ
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私は昔から学校と言うものが好きではなかった。

そう、好きではなく、嫌いでもなかった。

小学校、中学校に関しては、先生も周りの同級生も大して好きではなかった。

友達はいたが、明日から学校は、行っても行かなくても良くなりましたと言われれば、きっと私は行かずに、ずっといいともとごきげんようを観て、昼ドラのキッズウォーを観て、夕方の再放送のやまとなでしこなどのドラマを観る毎日を選んだだろう。

しかし、小中学校は行くのは嫌だが、行ってしまえば、それはそれで楽しい、言わばお風呂のような存在だった。

入るまではめんどくさいが入ってしまえば、あー、さっぱりした。くらいの程度の感覚の場所だった。

そのため、小中学校は自分の心に忠実に従った結果、ほぼ毎日遅刻してしまったが、そこそこ楽しい日々だった。

毎朝、少しだけ遅刻する時間に学校へ行き、門に立つ先生から、後5分早く来いと言われ、気のない、はーいとだけ言う日々を過ごした。

問題は高校である。

私は高校受験は、それ相応に勉強はしたものの、自分の今の力で余裕合格できるところに進学し、結果、何故か特進クラスに入れられてしまった。

そこからが地獄の日々である。

九州には、忌まわしき習慣で朝課外という、0時間目というものが存在する。

1時間目より前の授業で、生徒も教師も何の得にもなり得ない負の習慣がある。

朝は7時半過ぎから授業が開始されるため、6:50くらいには教室にいなければならない。

と、なると、6時過ぎには家を出ねばならず、そうなると、5時半には起きなければならない。すると、弁当を作る親の負担も半端ない。

親、子、教師、誰にとっても何のメリットもない習慣である。

最初こそ皆、真面目に授業に取り組むが、だんだん皆、早起きが祟りただの二度寝の時間となる。

無論、昼寝の時間があったり、その分早く帰れることもない。

そのため、学力が上がると言うことも決してないと思う。少なくとも、私はそうだった。

それに、うっすら感じでいたのだが、周りがバカばかりだと私は感じていたのだ。

話す内容に教養がない。

IQが20違うと話が合わないと聞くが、きっとそれに近いと思う。

最初こそ友達を作ろうと思っていたが、高校に通うにつれてそれは諦めた。

きっと、ここで私は友達ができない。

そう、感じていた。

中学からの友人数名も一緒の高校に通ったが、クラスが違うため、私1人、クラスで薄ら浮いた人になってしまった。

勉強はついていけないわけではないが、周りがバカっぽすぎて進まない授業が面白くなかった。

友達もいないので、母に真面目に、学校を辞めたいと申告したが、石の上にも3年と言うだろと諭され、結果、1年生の間は車で母に強制送還されることとなった。

母も心配しており、担任と話をしたが、担任も遠回しに、辞めたいなら辞めてもらってけっこうですよ。義務教育じゃないんで。と言われたそうだ。

私はこの担任も好きになれなかった。

苦痛の日々だった。

まだ、授業を聞くだけの日々だったらいいが、グループワークなど、死ぬほど嫌だったので今では防衛本能で記憶がない。

人間とは都合の良い生き物だ。

2年生から、母もめんどくさくなったのだろう。

車で送ってくれなくなった。

母も自営がうまくいっておらず、新しくパートを始めて大変だったのだ。

母も私を構う余裕がなくなっていたのだ。

そのため、私は行きたい時間に学校に行くようになっていた。

時には、中学からの友人と朝マックして学校に行っていた。

しかし、見た目は決してギャルなんかではなく、その辺の芋臭い膝丈スカートの高校生だった。

心に余裕ができたことと、担任が変わったことで幾分生きやすくなっていた。

クラスは相変わらず特進クラスに入れられたが、前回のクラスメイトとは変わり、比較的学校に来やすい穏やかなクラスだった。

それに、2年生になり、私はアルバイトを始めていた。

一応、高校がアルバイト禁止だったので、秘密でバイトしていた。

家が自営だったのだが上手くいっておらず、お小遣いというものをもらっていなかったのだ。

周りは親の金で遊んでいるのに。

アルバイトは楽しかった。

色んな学校の色んな学年の人がいたし、大学生やフリーターなんかもいた。

皆、働いている分、話す内容が大人っぽかったのだ。

学校より楽しかった。

そのため、学校が終わったらすぐさまバイトに行っていた。

学校にいても1円にもならないが、バイトではいるだけでもお金がもらえる。

高校生で時給610円で週5でバイトして月に6万ほど稼いでいた。

今では考えられない時給だ。

しかし、高校生で6万はでかい。

お小遣いをもらえていなかった為、大金持ちになった気分だった。

しかし、学校で特別徴収金があると、母にお金がどうしてもないので、自分で払ってくれと言われ、3万円×2回を支払った。

それも、一部はあの無駄な朝課外の料金だった。

3年生になった時に、朝課外はもう行かないと申告して、いくらか返金があった。

ちなみに、朝課外は一応、強制ではなく、強制に近い任意なのだ。

安全協会よりもタチの悪い任意である。

そのため、こちらが強く申し出れば、朝課外は辞退ができたのだ。

しかし、そのアルバイトも高校3年生の時に先生が来店し、見つかってしまう。

それで、3日間の停学処分になってしまった。

停学になったが、そのアルバイト代で学校の特別徴収金を支払っていたのに、と心では文句タラタラだった。

毎日反省文を書かされ、毎日色んな先生と2人で面談となった。

1年の頃の担任で1番嫌いな先生に○○(私と大して仲も良くない別の生徒の名前)も家が貧しいからバイトしているが、ちゃんと許可とってやってるんだぞ!!と言われた。

こいつのこういうところが嫌いだった。

もし、私も同じように、親の自営がうまくいっていないので、バイトの許可が欲しいです。と許可を取れば、同じように私の家は貧しいと他人に言いふらすのであろう。

私は冷めた目で、はあ、とだけ答えた。

元担任は、私の表情とその答えだけでさすがに察したのかそれ以上は何も言わなかった。

結局、ずっと辞めたいと思いながら、毎日遅刻して、バイトして、卒業した。

高卒という学歴を得たことは良かったが、3年間無駄にした感は半端ない。

私は、母に高校を辞めたいと言った時は、定時制の公立に通い直したいと申し出ていたし、何なら、その高校に入る前にも定時制に行きたいと申しでていたのだ。

今になっての後悔は、自分自身でしっかり進路を決めなかったというのが一番の後悔だ。

その、辞めたかった高校は、行きたかった定時制高校を母にダメだと言われた為、自分の学力でいけるどうでもいい高校だったので、途中で嫌になってしまったのだと思う。

大人になって思う。

失敗しても、自分で決めたことであれば、自分で決めたことだからと諦めがつく。

ただ、相談はした方がいいと思う。だが、その相談した相手の意見を丸呑みするのではなく、相手の意見を吟味する必要はある。

他人に決められたり、他人のジャッジをあてにし過ぎると、心の奥底で失敗した時に他人のせいにしてしまう。

自分で考えて、自分が納得して、自分で決めたという事実が必要だ。

そのために自分でよくよく調べて、自分でよくよく考えて、自分で悩んで悩んで決める。

遠回りに見えても、自分にとってはとても大切だったのだ。

将来、子どもが大きくなった時に自分の価値観だけを押し付けるような事はしたくないので、自分の経験から、気をつけようと思う。

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