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コーヒーの違いが分かる大人になりたい話【エッセイ】

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福岡在住のアラサー。旦那と1歳の子どもの3人暮らし。
コールセンター勤務。
私の経験を元にブログを執筆しています。

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エッセイ
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私はコーヒーが好きだ。

何かしらひと段落すると、コーヒーを飲んでいる。ひと段落していなくても、何かしらの作業中にも飲んでいる。

コーヒーも時間と心に余裕があれば、コーヒーメーカーでコーヒーを淹れている。

私のメンタルバランス維持のために必要な儀式の一つだ。

コーヒーはカルディで買ったり、近所のちょっと良い珈琲屋で買った物を淹れて呑む日もあれば、ブレンディなどのスティックコーヒーで済ます日もある。

私にとっては淹れる工程が日常でできる唯一の贅沢なので、あまり、“味”という点はよく分かっていない。

正直、ブレンディも結構美味い。

私の舌が貧乏舌なのか、まだ、舌がおこちゃまなのだ。

子どもの時に憧れていたような、皆んながイメージするテレビの中の大人には全くなれず、30代も過ぎたし、コーヒーの不味いっていうのは分かるが、美味いっていうのがイマイチ分からない大人にできあがった私。

コーヒーの、酸味やコクなどもよくわからない。

珈琲屋に行き、好みを聞かれても全く分からない。

なんなら、今までのBest of coffeeはセブンコーヒーだ。

昔は、大人になれば、もしくは、歳をそれなりに重ねれば、コーヒーとワインはそれとなくわかるようになると思っていた。

しかし、今では、美味しいの基準はその物を手に入れるのにいくらかかったかが大きな基準になっているようにも思う。

本来の物の価値でなく、手に入れるまでの物流や市場での貴重さを加味した値段でその物の価値をはかっている気がする。

私は、さもしい大人に出来上がってしまった。

子どもの時に一番美味しいと思っていたのは学校給食だった。

なぜなら私の母も祖母も料理が下手なので、日常的に食わされていたものが、不味い物か食べ物として食べられる物のどちらかだった。

子どもの時に母に食べさせられていたのはだいたい湯豆腐で、週に1回は食べさせられていた気がする。

その為、私は今は湯豆腐はほとんど食べない。

祖母の料理は母よりひどく、市販のカレールーを使ってもとんでもないカレーを生み出す。

素材殺しも良いとこだ。

見た目とニオイはカレーなのに、カレーのスパイスの味は全くしない為、カレーの味はしない代物を創造する。

白ごはんを噛み続けると出てくる、ほんのりした甘味しかない。

市販のルーを使い、カレーを無に返す天才なのだ。

その為、祖母はカレーに醤油をかけることを強要してくる。

こんな飯ばかり食べさせられていたので、学校給食が1番のご馳走だった。

メニューも多いし。

私の妹も子どもの時に祖母のおからのサラダを食わされていて、おからのサラダが嫌いだったが、大人になり、スーパーのお惣菜のおからのサラダを食べて初めて、おからのサラダが美味しいことを知ったらしい。

その為、私も妹も給食が好きだった。

子どもの時は給食で喜べていたのに、大人になると、ご飯の価値も値段で見ている自分が少し嫌にもなる。

食べ物の本質的な味を分かるような大人になりたいものだ。

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