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そんな、異業種交流会はそんな話を聞いて終わった。
ただ、疲れたのと、無駄に参加費払っただけだった気がする。
友達という友達も作れなかった。
そして、ある日、クレジットの上限金額になった。
もう、リボ払いができない。
上限金額を上げようとすると、収入を入力する欄がある。
そして、クレジットカード会社の審査がはいる。
私の収入なんて、経費を引いたらほとんどない。
私にはもう、お金がないのだとそこでようやく、気がついた。
今まで、フリーローンとリボ払いでどうにかしていた。
どうにかした=払えているという認識だったのだ。
どうしよう。
とりあえず、私はバイトすることにした。
サロンはいつ予約が入るかわからないため、サロンの時間外でのバイトがよかった。
そこで、私は運転代行の仕事をした。
車の運転は好きだったのだ。
しかし、やってみてわかった。
私は運転は好きだが、道を覚えるのが得意ではない。
運転代行は普通免許を持っている人と、タクシーの運転もできる第二種免許を持っている人とペアになる。
お客さんが呼んだ場所へ行き、第二種免許がある人がお客さんの車を運転し、私はそれについていくのだ。
それだけだと、簡単そうだが、お客さんがどこかの居酒屋から連絡してくる。
その居酒屋までの運転は、私が第二種免許を持った人を乗せて運転せねばならない。
しかし、その居酒屋の場所がわからない。
第二種免許を持った人は少し気難しい人が多い。
車内も無言なことが多い。
道がわからないというと明らかに不機嫌な態度を取られる。
これは、無理だ。
そう悟った。
私は向いていない。
サロン経営も、運転代行も。
ようやく私は気づいた。
その時、フリーローンで100万。クレジットのリボ払は70万。
そのほかに私は奨学金もあった。
これは、ダメだ。
ちゃんと、お金がもらえるところに働きに行こう。
私に起業は向いていない。
それに、私はお金の使い方がなっていないと、ようやくわかった。
ここまで長かった。
そこで私は、1年間のサロン経営を辞めた。
それと同時に代行の仕事を辞めた。
そして、次の仕事もすぐに見つけた。
前職の経歴を活かした職だった。
そこでようやくわかった。
会社員のありがたみを。
どうして、自営業だった親が公務員を勧めていたのかを。
毎月、給料が貰えることは素晴らしい。
それに、厚生年金制度も、社会保険も素晴らしい制度だったのだ。
雇用保険のおかげで、私は今、育給も貰えている。
借金まみれだった私は、お金の勉強をすることにした。
ネットで借金を返し終えた経緯のブログを読んだり、インスタでお金系のアカウントをフォローして勉強した。
あとは、横山光昭さんの著書も、読み込んだ。
この横山光昭さんの著書はとてもわかりやすい上に、家計再生コンサルタントを名乗っているので、現時点で問題のある家計をメインに色々書いてくれているのだ。
お金がなかった為、これらの本は市の図書館で借りて読んだ。
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